猫伝染性腹膜炎(FIP)の診断と治療2024
今回の内容
- 猫伝染性腹膜炎とは
- ISFM2022ガイドラインについて
- 診断方法について
- 治療法について
- まとめ
猫伝染性腹膜炎とは
猫伝染性腹膜炎(Feline Infectious Peritonitis:以下FIP)は猫コロナウイルス(FCoV)感染により発症する伝染病になります。今から60年程前に発見されたものの発症を予防するワクチンは存在せず、未だに猫にとって脅威となる疾患の一つです。FCoVは大腸の上皮細胞で増殖するため感染経路としては感染猫の便に汚染されたトイレや食器、ベッドなどから経口感染すると考えられています。この病気の診断は様々な要因(以下参考)を排除しないといけないため難しい点も治療が遅れてしまう要因の一つになっています。
- FCoVの中にFIPを引き起こすウイルスとそうでないウイルスが混在する
- 上記に関して遺伝子学的にほとんど区別がつかない
- FCoVに感染してからFIPを発症するまでの期間が不明
そのため身体所見や血液検査、画像診断、遺伝子検査などの結果を総合的に判断して診断を行っていきます。
ISFM2022ガイドラインについて
ISFM(International Society of Feline Medicine and Surgery)は国際的に猫の医学を発信している団体で猫に関する様々な情報を発信しています。これまでもFIPに関する記載がありましたが2022年の報告では具体例を挙げて診断アプローチを解説するなどより詳細な解説となっています。(P905-929)
このガイドラインではFIPの診断や所見、検査法並びに治療法などを具体的に解説してくれています。FIPはまだまだ未知の部分が多く、診断も煩雑であることから著者であるThayerとGogolskiはレンガを積み重ねるように診断に必要な検査を行うべきと表現していました。
To arrive at a diagnosis of FIP, the veterinarian must consider the individual patient’s history, signalment and physical examination findings, and select diagnostic tests and sample types accordingly, in order to increase the index of suspicion ‘brick by brick’
これは1つの所見・検査だけでは診断が出来ないことを指しており具体的な方法としては次のような所見を総合して診断していくことが大切と言われています。
- 問診(Appendix2で解説)
- 身体検査(Appendix3で解説)
- 画像診断
- 鑑別診断
- 血液検査
- 腹水など血液以外の検査
- 生検や遺伝子検査(Appendix4で解説)
診断方法について
診断に関しては上記に記載したように問診や身体検査などから鑑別疾患を検討していきます。以下のような症状はFIPにおいて認められる所見となります。
【初期症状】
- 抗菌薬に反応しない発熱
- 食欲不振
- 元気消失
【進行すると】
- 可視粘膜の黄疸、蒼白
- 腹部膨満
- 呼吸困難
【その他の症状】
- 神経症状
- ぶどう膜炎
- 皮膚疾患
これらの症状は他の疾患でも発生することからガイドラインなどに示された手順を追って診断していく必要があります。この際に若齢かつ腹部膨満があり発熱・元気消失などがある場合は強くFIPを疑い、種々の検査を実施していきます。状態が悪い場合には治療中に急死する可能性もあり対症療法で状態を安定させることも重要です。
治療法について
2024年3月現在においてFIPの治療に対する動物用医薬品は存在せず、未承認医薬品または適応外使用となっています。またそれらの薬剤も非常に効果であることから治療は非常に高額となります。また輸入薬の中には成分が不明であったり有効成分が十分含まれていないケースも報告されているため注意が必要となります。(個人輸入をお勧めできない理由)現在有効性が報告されている薬剤は以下のようなものがあります。
- レムデシビル:抗ウイルス薬。ギリアド(G)・サイエンシズ(S)社製で元々はエボラ出血熱に対する薬剤開発の目的で製造された。プロドラッグであり体内で代謝されることでGS-441524という化合物となりウイルス増殖を抑制する。(Beyond Health レムデシビルより)
- GS-441524:上記の有効成分のみのもの、BOVA UK社から発売
- Xraphconn®︎(II ?):抗ウイルス薬でMUTIAN(ムティアン)という名称が有名となっている。ミュンヘン大学による検証で有効成分はGS-441524であることが立証された。有効成分が明示できない多成分製剤に分類
- GC376:抗ウイルス薬、ウイルスの増殖に必要なMpro(Main protease)の酵素活性を阻害し増殖を抑制する。FIPにおいて高い治療効果が証明されているが現在米国において動物用医薬品として適応申請中であり入手は困難。
- EIDD-2801:抗ウイルス薬、薬剤名はモルヌピラビル、COVID-19の治療薬として米メルク社が開発したが有効性が30%程度と報告された経緯がある。Pedersenの報告ではFIPにおいてGS-441524と比較し僅かに増殖抑制が強いが細胞障害性はより高いとされている。用量はまだ確定されていない状態。
- イトラコナゾール:抗真菌薬、北里大学の高野らが2019年に有効性を報告、効果は限定的で上記のような抗ウイルス薬のような効果は期待できない、一般的に使用される抗真菌薬であるため比較的安価
- クロロキン:抗マラリア薬、FCoVの細胞内への侵入、吸着を阻害し増殖を抑制(LABIO 21参考)有効用量では肝数値上昇の可能性
まとめ
今回FIPについて自身の勉強も兼ねてまとめてみました。近年まで不治の病とされてきた病気ですが少しずつ治療法などが明らかになってきており、これは非常に驚くべきことと同時に色々な方々の研究や臨床報告の賜物と思います。感染のメカニズムなどまだまだ不明な点はありますが、これらも少しずつ解明され少しでも早く治療薬が確立されることを願います。また新しい治療法に関しては自分自身も経験が少なく、従来の治療(インターフェロンやイトラコナゾールなど)を実施することが多いため今後少しずつ対応できるべく情報のアップデートを行なっていきます。薬剤在庫などの関係で当院で対応できない場合もありますが、その際は近隣の動物病院やFIPの分野に明るい獣医師の方を紹介させていただきます。疑わしい場合には様子を見るのではなく一度受診・相談していただければと思います。
参考文献
- 2022 AAFP/EveryCat Feline Infectious Peritonitis Diagnosis Guidelines
- CLINIC NOTE vol.213 P5-37
- 猫の治療ガイド2020 P788-789
- 国立感染症研究所HP コロナウイルスとは
- CAP No.367
Appendix 1
今回FIPの原因がコロナウイルスと聞いて2019年より流行した新型コロナウイルス(COVID-19)感染症を想像される方も多いのではないでしょうか?国立感染症研究所によるとコロナウイルスは感染経路から4つに分類され、いわゆる普通の風邪(総合感冒)もコロナウイルスが原因であることがあります。また2000年代に流行したSARS(サーズ)もコウモリのコロナウイルスが人に感染することで重症化する病気です。COVID-19の蔓延により様々なお薬が開発されました。今回紹介したお薬の1つも本来これらの治療薬となります。
Appendix 2〜FIPのリスク因子について〜
FIPの発症要因に関するリスク因子についてはリスト化されており、これらの要因がないかを確認することはFIPの診断において重要と考えられます。問診時に注意する点としては以下のようなものがあります。
- 生活環境にFCoV感染猫が存在する:ウイルス感染のリスクが上昇
- 多頭飼育環境の有無:FIPの発生率が上昇
- 年齢・性別・品種:若齢(2歳未満)の雄が多く、純血種の方が発症しやすい傾向
- ストレス・免疫抑制状態の確認:引越し、旅行、新しい家族(動物含む)、手術やワクチン接種など
Apendix3
次の項目はFIPの際に見られる所見となります。(Table 2より引用)
但し、他の疾患でもこれらの症状を呈することがあり、鑑別疾患に関しては注意する必要です。
- 一般所見:元気消失、食欲不振、抗生剤に反応しない発熱、黄疸やリンパ節の腫脹
- 腹部所見:腹水の貯留、腹部腫瘤の確認、発熱を伴わない下痢や嘔吐
- 胸部所見:(胸水貯留に伴う)呼吸困難
- 心臓所見:(心嚢水貯留に伴う)心不全、心タンポナーデ
- 生殖器所見:(浸出液に伴う)陰嚢の腫大
- 神経系所見:発作、異常行動、痙攣、知覚過敏、麻痺など
- 眼科所見:ぶどう膜炎、網膜剥離、瞳孔の異常
- 皮膚所見:中毒性表皮壊死融解症、血管炎など
引用元:https://journals.sagepub.com/doi/full/10.1177/1098612X221118761 table.2
Appendix 4 猫コロナウイルス遺伝子検査
2023年本邦にてFIPに関して治療を行った論文が発表されたました。(こちら)この論文内では324症例に対してMutianという内服にて治療が行われています。その中で遺伝子検査が実施されており臨床的にFIPが疑われる症例における陽性率の算出が可能となっています。前述にもあるようにFIPの診断は様々な要因を排除しなければならず困難であるものの遺伝子検査の精度を示すデータの一つとなる可能性が示唆されています。本論文で使用されている遺伝子検査を実施している株式会社ケーナインラボ様へ当院では検体を提出して検査を実施しております。(2024年現在)
注意点としてはドライタイプの場合81%の陽性率であり猫コロナウイルスが検出されないからと言ってFIPではないとは言いきれない点です。このため臨床症状や他の検査を併用することにより診断精度を高める必要があります。(ウェットタイプの場合は腹水/胸水98.6%、血液91.2%)Vet.Sci.202,8,328